セクシャリティ迷子のメモ帳

32歳、バツイチ独女、バイセクシャル。思ったこと・感じたことの備忘録。

女子校は思ったより自分に合ってたんじゃないかと思った話

あの大学の話

 

お茶の水女子大学トランスジェンダー女性の入学を認めた。

というのが話題になっていますね。

 

m.huffingtonpost.jp

 

トランスジェンダー学生の受入れについて | お茶の水女子大学

 

学長メッセージ | お茶の水女子大学

 

ニュースを目にした時は「マジか」と驚いたが、大学の公式サイトを見ると特別なことではなく、自然な流れだったんだなぁと思える。

学長のメッセージでもたひたび触れられているが、お茶の水女子大学

 

「学ぶ意欲のある全ての女性にとって、真摯な夢の実現の場として存在する」

 

というのを標語に掲げている。

全ての女性というのは、日本の二十歳前後の女の子だけではなく、発展途上国の女性も含まれるし「心は女性」であるトランスジェンダー女性も含まれる。

ということなのだろう。

人によっては、こんなの飛躍しすぎだろうって思うのだろうけど「かわいくてふわふわした女の子」だけが「女性」じゃないんだよ。

特に「俺も女装して入学しよう」とか茶化してるシスジェンダー男性(体も心も男性)は頭を冷やしてほしい。

誰とは言わないけど、あの作家さんとかね…

 

 

女子校、楽しそうやな。

 

それで、本題。

お茶の水女子大学に限らず、女子校全般の話を聞いて思うのは

「行ってたら割と楽しめたんじゃ…?」

ということ。

女である前にただの「はるか」という人間でありたい。

そういう思いがずっとあったのだけど、女子校はそれを実現できそうな場所だったかもしれない。

女子校を調べるまではずっと「花嫁修業する学校」だと思っていた。

あと「女子ばっかりだからドロドロしてそう」だな、とか。

「共学の大学より教育レベルが低いんでしょ」とか。

全て無知ゆえの偏見である。

たいへん失礼で、お詫び申し上げます。

 

実際に通っていないので、あくまで伝聞からの想像でしかないのだが。

 

男子と比べられることがないから、みんな穏やか。らしい。

「男性をサポートする女性」ではなく「リーダーシップを取る女性」を育てるための場所。らしい。

少人数教育なので、授業のサポートも、就職サポートも手厚い。らしい。

女性である前に「ただの人間」でいられる場所。らしい。

 

楽しそうだな。

純粋にそう思った。

共学しか通ってこなかったけど、正直、居心地がいいとは言えなかった。

全否定するつもりはないが、男性が多い場所はストレスが多かった。

「女性」であることを求められたり、押し付けられたり。

そうでない男性もいたけど、両手の指に収まる程度しかいなくて。

「それは私のキャラじゃねえ。知らんがな」と言えないままモヤモヤしていた。

 

 

「女子だけ空間」の心地良さ

 

以前レズビアンバーに行ったことがあるのだが、女子だけの空間は、私には心地良かった。

無許可で触ってくるセクハラおじさんがいないのはもちろんだが、女性らしい振る舞いを求められていないのがラクで良かった。

常連のお姉さんから「Netflixのコンテンツがいかに面白いか」を聞いている時間はほんのり幸せだった。

「ビアンでもバイでもないのに、この場にいていいのか!?」

って内心緊張はしていたけど。

ハプニングバーでは

「セックスというゴールにたどり着くために女性らしさを全面に出す」 

という苦行を強いられていたからなぁ。

セックスを目的に行っていたから自業自得なんだけど。

「セックスはしないでただただ趣味の話をする」っていうのは、ハプニングバーではしづらなかったんだよなぁ。

できても「チャンスを逃した」みたいな気持ちになってたからね。

 

 

つまりは…

 

どんどん脱線していくので、本題に戻る。

全ての女子校がお茶の水女子大学みたいな理念を掲げているのかは分からないが、話を聞く限りでは「自立した女性」を育てるのが女子校全体のミッションのようだ。

女である前に人間でありたい、という私の希望に合ってるんじゃないかと思う。

とはいえ、大学を卒業して10年経った今、通い直すのも現実的ではないので。

「私はこれが欲しい」

「私はあれがやりたい」

と言える人間ではいたい。

 

 

おまけ

 

そういえば。

たびたびハプニングバーの話題を出してるのに、一度も記事にしてないな。

いつか書こう、いつか。