セクシャリティ迷子のメモ帳

32歳、バツイチ独女、バイセクシャル。思ったこと・感じたことの備忘録。

うらやましいなら、素直にそう言えばいいじゃん

剛力彩芽さんがZOZO前澤社長との恋に浮かれたっていいじゃない?!プライベートジェットあるなら使っていいじゃない! - プロ独女のライフハックブログ

ほんまそれ。 外野の批判がうっとうしすぎるのですよ。

2018/07/24 17:23

 

ネットで話題になっている件ですな。

引用記事含め、関連記事をいくつか読んだけど、外野のおじさんたちは黙っとれって気持ちになる。

なーにが「ファンのためを思うと良くない」じゃ。

あんたは剛力彩芽さんのファンにお気持ち聞いて回ったんかいな。

記事でしかコメントを読んでいないので何とも言えないが、読んだ限りではただのひがみにしか聞こえない。

「俺もプライベートジェットでW杯観戦に行きたい人生だった」って素直に言えば、好感度爆上がりだったのに。

「ファンのためを思うと…」なんて言い訳をするから、みじめだし、かっこ悪い。

 

 

これを言うと偏見になるが、友達も少なくて、趣味もあまりないし、ヒマだから、人の幸せを批判したくなるんでしょうね。

まぁ、私も独身なので、カップルを見て羨ましくなる気持ちは分かるが。

剛力彩芽さんにあまり興味がないので(ファンの方に失礼)「浮かれた投稿」とされているもの自体、どうでも良い。

 

 

自分の気持ちを素直に言えない大人より、素直に感情表現できる大人でいたいと思った次第。

自分のこととなると、難しいんだけどね。

文章だといっぱい話せるんだけどねぇ。

 

離婚を全く後悔しないのは難しいらしい

離婚してから半年ほど経つ。

「セックス観と子どもの希望の不一致」が一応の離婚理由なのだが…

相手自体を嫌いになったわけではないせいか、楽しかった頃を思い出して涙することもままある。

 

 

じゃあ、復縁すればいいかって話になるかもしれないが、結婚していた頃は

「このさき一生、夫以外の誰ともセックスできずに死ぬのか」

と絶望していた。

結婚前に交際したのは元夫含めて二人。

不倫したこともなければ、セフレがいたこともなかった。

元夫とは8年の交際期間を経て結婚したが、結婚前からほぼセックスレスだった。

そんな状態だったし、性欲も強かったから「夫以外とセックスできない」という絶望は耐えられなかった。

ハプニングバーに行ったのも、不倫やセフレ作りまくったのも、それが理由だった。

詳しく語るのは後の記事に回すとして。

 

 

「離婚 後悔 する時」でググるとこんな記事が出てくる。

 

www.kakekomu.com

 

特に共感できるのが記事中に出てくる「経済的問題」と「孤独感」。

 

金銭面は考えれば考えるほど目の前が真っ暗になる。

引っ越し直後というのもあるのだが、正直家計は赤字続き。

ダブルインカム(共働き)はなんだかんだで余裕あったよなぁと懐かしくなる。

ハプニングバーに通いすぎて、お金は貯まらなかったが…

 

孤独感は不意に襲ってくる。

この前は、人妻時代に使っていたレシピ本見ただけで泣いた。

結婚していた頃にこのレシピで料理作ったな、と。

そういう時は孤独感を追い出すより、そっと抱きしめてあげたほうが治まりが早い。

昔、タレントの磯野貴理氏が「離婚直後はさびしすぎて泣いた」と言っていたが、今はその気持ちがとても分かる。

離婚理由によるかもしれないが、離婚したら寂しくて泣く。マジで。

そういえば、離婚経験がある上司も「俺も離婚直後は精神が不安定だった」と言っていたなぁ。

 

 

今は後悔することもあるが、離婚で新しい道が開けたと思えるようになるだろう。

いつか。きっと。

女子校は思ったより自分に合ってたんじゃないかと思った話

あの大学の話

 

お茶の水女子大学トランスジェンダー女性の入学を認めた。

というのが話題になっていますね。

 

m.huffingtonpost.jp

 

トランスジェンダー学生の受入れについて | お茶の水女子大学

 

学長メッセージ | お茶の水女子大学

 

ニュースを目にした時は「マジか」と驚いたが、大学の公式サイトを見ると特別なことではなく、自然な流れだったんだなぁと思える。

学長のメッセージでもたひたび触れられているが、お茶の水女子大学

 

「学ぶ意欲のある全ての女性にとって、真摯な夢の実現の場として存在する」

 

というのを標語に掲げている。

全ての女性というのは、日本の二十歳前後の女の子だけではなく、発展途上国の女性も含まれるし「心は女性」であるトランスジェンダー女性も含まれる。

ということなのだろう。

人によっては、こんなの飛躍しすぎだろうって思うのだろうけど「かわいくてふわふわした女の子」だけが「女性」じゃないんだよ。

特に「俺も女装して入学しよう」とか茶化してるシスジェンダー男性(体も心も男性)は頭を冷やしてほしい。

誰とは言わないけど、あの作家さんとかね…

 

 

女子校、楽しそうやな。

 

それで、本題。

お茶の水女子大学に限らず、女子校全般の話を聞いて思うのは

「行ってたら割と楽しめたんじゃ…?」

ということ。

女である前にただの「はるか」という人間でありたい。

そういう思いがずっとあったのだけど、女子校はそれを実現できそうな場所だったかもしれない。

女子校を調べるまではずっと「花嫁修業する学校」だと思っていた。

あと「女子ばっかりだからドロドロしてそう」だな、とか。

「共学の大学より教育レベルが低いんでしょ」とか。

全て無知ゆえの偏見である。

たいへん失礼で、お詫び申し上げます。

 

実際に通っていないので、あくまで伝聞からの想像でしかないのだが。

 

男子と比べられることがないから、みんな穏やか。らしい。

「男性をサポートする女性」ではなく「リーダーシップを取る女性」を育てるための場所。らしい。

少人数教育なので、授業のサポートも、就職サポートも手厚い。らしい。

女性である前に「ただの人間」でいられる場所。らしい。

 

楽しそうだな。

純粋にそう思った。

共学しか通ってこなかったけど、正直、居心地がいいとは言えなかった。

全否定するつもりはないが、男性が多い場所はストレスが多かった。

「女性」であることを求められたり、押し付けられたり。

そうでない男性もいたけど、両手の指に収まる程度しかいなくて。

「それは私のキャラじゃねえ。知らんがな」と言えないままモヤモヤしていた。

 

 

「女子だけ空間」の心地良さ

 

以前レズビアンバーに行ったことがあるのだが、女子だけの空間は、私には心地良かった。

無許可で触ってくるセクハラおじさんがいないのはもちろんだが、女性らしい振る舞いを求められていないのがラクで良かった。

常連のお姉さんから「Netflixのコンテンツがいかに面白いか」を聞いている時間はほんのり幸せだった。

「ビアンでもバイでもないのに、この場にいていいのか!?」

って内心緊張はしていたけど。

ハプニングバーでは

「セックスというゴールにたどり着くために女性らしさを全面に出す」 

という苦行を強いられていたからなぁ。

セックスを目的に行っていたから自業自得なんだけど。

「セックスはしないでただただ趣味の話をする」っていうのは、ハプニングバーではしづらなかったんだよなぁ。

できても「チャンスを逃した」みたいな気持ちになってたからね。

 

 

つまりは…

 

どんどん脱線していくので、本題に戻る。

全ての女子校がお茶の水女子大学みたいな理念を掲げているのかは分からないが、話を聞く限りでは「自立した女性」を育てるのが女子校全体のミッションのようだ。

女である前に人間でありたい、という私の希望に合ってるんじゃないかと思う。

とはいえ、大学を卒業して10年経った今、通い直すのも現実的ではないので。

「私はこれが欲しい」

「私はあれがやりたい」

と言える人間ではいたい。

 

 

おまけ

 

そういえば。

たびたびハプニングバーの話題を出してるのに、一度も記事にしてないな。

いつか書こう、いつか。

話題になってたあのレポを読みました

 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

 

2週間前に買って積ん読していたが、とうとう読みました。

しかも、たった今!(笑)

 

「レズ風俗レポというより、作者本人の生きづらさが浮き彫りになっている」

「読んでいてツラい」

 

読む前にそのような前評判を聞いていたため、読むのをためらっていた。

「読んで大丈夫!? 私、明日から生きていける!?」

などと、大げさな不安を抱いていたが、思いのほか読後感は爽やかだった。

読み終わってすぐに思ったのは

「あ、私も自分を大切にしよう」

だった。

 

 

共感ポイント多数

 

読んでる間はずっと

「分かる! その感覚、分かるぞ!!」

の連続であった。

具体的に言うと、52~53ページ辺り。

本当はみんな抱きしめてもらって安心したいとか、あとはこのくだり。

 

自分が女だと認識したくない

男になりたいわけじゃなく

性別に属してるのが嫌というか…

 

自分が「自分」である前に

「女」であると

過剰に定義されるのが怖いというか…

 

私が「男らしい男」が苦手なのも、この感覚に近いものを抱いているからだと思う。

「私」という人間を見てもらってないような、相手の中の「女の子ってこういうもの」というフィルターを通して見られてるような。

つまりは相手の「理想の女の子像」を押し付けられているような感覚を受けるのだ。

 

それと、このくだりも「私も同類だぞ、永田カビ氏!」と心の中で叫んだ。

 

(先述の引用の続き)

後はもう

とにかく男体より

女体に性的な興味がある

 

でも特定の女性に性欲を抱くわけじゃない…みたいな

 

これをなんというセクシャリティに分類すればいいか分からないが、永田カビ氏の感覚はよく分かる。

というか、全く同じだ。

違うのは、私には男性・女性両方との性的経験があるということ。

でも、経験があっても、レズビアンなのか、バイセクシャルなのかと言われてもよく分からない。

実際に女性と付き合ったことはないからな。

付き合ってみたら分かるのかもしれないけど、今すぐそれをしたいとも思わない。

だから今は「クエスチョニング」なのだ。

 

そして、私もこれがしたいんだよなぁと思ったのがこのくだり。

 

「何によって自分の心が満たされるのか」がわかった気がする

発信して

人に届く事

人に認めてもらう事だ

 

小さい頃からずっと

「小説家になりたい」

「何か書きたい」

という気持ちはずっとあったけど、書きたいと思うものになかなか出会えていなくて。

だけど、自分のセクシャリティとか、性的なことに絞ってブログを書き始めたら、スッキリしてきて。

体の中に抱えていた重りが取れたというか、出すもん出せてスッキリした気分。

と同時に「そういえば、あれも吐き出したいな」ともうひとりの自分がささやいてくる。

記事が溜まったら、冊子にまとめて文学フリマで売り出そうかな(笑)

 

 

申し訳程度のまとめ

 

半分くらい自分語りになっていて、ブックレビューでなくなっているが…

前評判のとおり、レポではなく、作者の生きづらさを語るコミックエッセイだったし。

永田カビ氏が生きづらさからちょっと解放されるのを見届けて。

自分の生きづらさも見つめることになる。

センセーショナルなタイトルとは裏腹な、深いマンガでした。

 

 

追記

 

このくだりも「分かる…」って思った。

 

(前略)

私にとって想像した事を描く方が

自分が実際にした事

思った事を描くより恥ずかしいのだ

 

私もフィクションでエロBL小説書くより、ハプニングバーとかレズ風俗で体験したこと書くほうが恥ずかしくない。

フィクションを書くとどうしてもふわふわしてしまう。

私の書きたいことはこんなんじゃないのに、とモヤモヤしてしまう。

フィクションを書くのにはどうも向いてないんじゃないかと思われる。

 

そして、言い忘れてましたが。

腐女子です。

 

セクシャリティを何で決めていますか?

違和感があるかどうか

 

先日、ゲイ男性と話す機会があったので、LGBTの方々に聞いてみたかった質問をぶつけてみた。

 

「自分のセクシャリティを決めたきっかけはなんですか?」

 

返ってきた答えは

「付き合ってみて、違和感があるかどうか」

だった。

彼は女性に告白されて付き合ったことがあるが、交際している間、違和感で苦しかったそうだ。

1年交際していたが、手を繋ぐ以上のことができなかった。

だけど、男性と交際した時は違和感なく最後までできた。

だから、自分はゲイなんだなと自覚したとのこと。

ひとつの基準として、たいへん参考になった。

 

 

女性とお付き合いしてみたいけど…

 

「レズ風俗を利用した時、女性とすることに違和感がなかった」

という話をそのゲイ男性にしたら「レズビアン寄りなのでは?」という答えが返ってきたが、どうなんだろう。

男性と付き合うことに違和感があるわけではないからなぁ。

かと言って、バイセクシャルかと言われると悩んでしまう。

まだ女性と付き合ったことはないからね。

女性と付き合ってみたら、はっきり分かるんだろうけど。

だから、女性とお付き合いしてみたい気持ちは、すごくある。

 

だがしかし、だ。

今はパートナーが欲しくない!!

20歳から十数年間、パートナーがいる生活をしてきたらせいか、シングルの気楽さを実感しまくっている。

 

私の休みは全て私のもの!!

「ここの休みは、パートナーと会うから空けておかなきゃ…」みたいな気遣いも不要!! 

休みの日に昼まで寝ていようが、夕方から出かけようが、文句も何も言われない!!

なんという気楽さ!!

 

この気楽さ、パートナーがいれば味わえないので、今のうちに存分に味わっておきたいところ。

いずれはまた、パートナーが欲しいけどね。

根本が寂しがり屋なので、一生ひとりで過ごすのはムリ。

ひとりでいることに飽きたら、パートナーを探そうかなと思う。

それが男性でも女性でもどちらでもいい、というのが今のところ、ハッキリ言えることかなぁ。

 

好きな人の性別にこだわりがないなら、パンセクシャルを名乗ることもできるけど…

そもそもシス男性(心も体も男性)としか付き合ったことないから、分からん!!

「女らしさ」を押し付けられる不快感について考えてみた

 

Twitterで拡散されていた記事で、自分のTwitterでもちょろっと感想を述べたのだが。

「女らしさ」を押し付けられるのがなぜ嫌なのか、改めて考えてみたいと思った。

 

 

なんで押しつけが嫌なんだろう?

 

私の考えの根本には

 

  • 「精神的に自由でいたい」
  • 「物事を柔軟に考えたい」

 

という思いがある。

これは私が思い込みが激しく「~すべき」という規範意識が強いことから来ている。

要は、真面目すぎて辛くなることが多いので、ちゃらんぽらんに楽しくやりたいのだ。

考えがゆるくなれば、少しは生きやすくなるかなーという願望である。

 

それで、本題。

「女らしさの押し付け」に感じるのは、不快感と同時に防衛本能もある。

「てめえ、私のナワバリに入ってくんな!!」っていうやつ。

「精神的に自由でいたい」という思いを踏みにじられているような気持ちになる。

 

押しつけへの不快感は、祖母と歴代元カレに感じることが多かった。

ちなみに「歴代元カレ」の中に元旦那は含まれていない。

彼は「女らしさ」の押し付けを一切してこない、ジェンダーレス男子(見た目は普通でしたけどね)だったからだ。

じゃあ、なんで離婚したのかって話は別の記事で書くとして。

 

 

実際に押し付けてきた人たち

 

祖母はよく「女が家事をして当たり前」と言っていた。

88歳という年齢と、お手伝いさんがいるような家庭環境で育ったことを考えれば、当然、そうなるっちゃなるんだけど。

私が家事をしても無反応だったのに、弟が同じことをすると「エラいわねー!!」と声色を変えて褒めていた。

幸い、両親の教育方針は真逆で、弟も祖母の反応に白けきっていたが。

「同じことしてるのに、反応に差がありすぎる」と当時はイライラしていたが、上記のとおり、祖母に同調する家族がいなかったので、その点では大きな不満はなかった。

 

問題は、歴代元カレたちである。

不倫も含めると、元旦那以外は「女らしさ」を押し付けてくる野郎どもが多かったなぁ。

特に顕著だったのは、2か月前に別れたモラハラ彼氏だった。

 

モラハラ彼氏は、押し付けがひどかったわけではないのだが、一緒にいるのも耐え難いなと思ったエピソードがある。

それは「彼女なんだから、洗濯くらいしてよ」と言われた時。

当時、通い同棲状態になっていて、朝食を毎回彼に用意してもらっていた(頼んでないけどね)。

「僕がやってばかりじゃ嫌だから、たまには、はるかさんもやってほしい」と言われたのだ。

頼んでないとはいえ、朝食を用意してもらっているのに何もしないのも悪いかと思って、彼の言う通り、洗濯をした。

やりながら憂鬱でたまらなかった。

洗濯自体はもちろんできるし、やり方だって分かっているけど、

 

「何で結婚もしてないのに、人様の服を洗濯しなきゃならないんだろう」

「っていうか、結婚してても、人様のために家事なんてやりたくない」

 

という気持ちでいっぱいだった。

洗濯を終えたことをLINEしたら、彼からは「ありがとう」と返ってきたが、ちっとも嬉しくなかった。

嫌な予感がふつふつと湧いてきた私は、彼にたずねた。

 

「今後もこういうこと(家事)するのを、感謝も特にしないで求めてきたりする?」

 

彼からの返信は

 

「感謝しないことはないけど、求める回数は増えていくと思う」

 

だった。

彼との結婚は絶対にない、と思った瞬間だった。

結婚している時、家事はあくまで「自分のため」にやっていたし、元旦那もそれに異議は唱えていなかった。

それが快適だったのに、誰かのためにやるなんて絶対できないと思った。

その出来事から1ヶ月後にモラハラ彼氏とは別れた(正確に言うとフラれた)。

 

 

つまり、こういうことです

 

ものすごーーーーーーく脱線してしまったけども(笑)

「女らしさ」の押し付けが、自分のテリトリーを侵されている気分になって、非常に嫌な気持ちになる。

自分を守るために頑なになる。

っていうのが理由なのかなと思います。

答えになってない気がするけど…

セックスそのものが好きな人って、ほとんどいないのかもしれない

 

 

Twitterでちょっとバズっていたツイート群。

これ見て、Tちゃんのこととか、ハプニングバー(以下「ハプバー」)で出会った人たちのこととか思い出して、憂鬱になったりしたのだった。

Tちゃんというのは、エロ系裏垢で知り合った、セックスをするたびに病んでいく女の子のことだが。

彼女についての詳細は過去の記事を読んで頂くとして。

 

haruka15793.hateblo.jp

 

 

セックスが好きってほんと?

 

それで、本題。

件のツイートを見て考えたのは、純粋にセックスそのものが好きな人ってほとんどいないんじゃないかということ。

セックスをどう捉えているかにもよるけど。

娯楽なのか、コミュニケーションなのか。

まぁ、定義は置いておいて。

 

ハプバーに来てる人たちは、主に三種類に分かれてた。

 

  1. 性欲処理しか考えてない脳たりん
  2. 寂しさをセックスで紛らわせているメンヘラ
  3. 性的な遊びをやり尽くして人間じゃなくなった方

 

思い返してみると、2の方々が圧倒的に多かった。

1の方は出禁を食らって店に入れなくなるし、3の方は元々少数派。

なので、割合としては、

 

2:8割

1・3:各1割

 

といったところ。あくまで主観だけれど。

件のツイートのような女の子たちもいたけれど、2に近い人が多い印象だった。

もちろん、私も2の人だった。

2の人たちの中には、セックスレスで悩んでいる既婚者も、男女問わず、けっこういた。

ハプバーのおかげで夫婦円満…という人はあまりいなくて、むしろ闇を深めていった人が多かった気がする。

私もその中の一人だったし。

 

たぶん求めてるものが違う

 

ハプバーのコンセプトとして「人には言えない性癖を共有する」というのが多かれ少なかれ、どの店にもあった。

ここでいう「性癖」というのは「特殊な性的プレイ」のこと。

2の人たちは「縄で縛られるのが好き」とか、「首絞めセックスが好き」とか、普通の人には受け入れづらいプレイをしたがるわけだけれども。

本当にそれがしたくて、ハプバーに来てるのか?

と、ハプバーから離れてみて疑問に思うのだ。

私もかつて2の人だったので、批判したいわけではない。

過去の私も含めて、2の人たちに問いたいのは「あなたの行くべきところは、ハプバーではないのでは?」ということ。

言語化できないモヤモヤした気持ちとか悩みとか、外の世界では自分らしく生きられなかったりとか。

そういうどうしようもない思いをセックスにぶつけていたのだろう、と思う。

2の人の中には、アニオタもけっこうな数いたのに、彼らの趣味は逃げ場としては機能していなかった。

彼ら(と過去の私)に必要だったのは、ハプバーじゃなくて、モヤモヤを吐き出せる場所だったんだと思う。

 

本来、ハプバーは3の人のためにある場所なんだろうな。

でも、2の人がいっぱい来ているっていうのは、行き場がないからで。

あるいは、あっても情報が行き届かないからで。

闇が深いんだよなぁ。